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〜ドレスショップ・ルネ お店まわりのみんなのいろいろ出来事日記〜
お酒を注ぐ(つぐ)
 会合や懇親会のお酒の席などで、ほとんどの場合、多くの人は、ビール瓶や徳利を持って、他の人の席に行って、お酒を注いで回るのが日本の宴席での習慣です。
 お酒の弱い人など、何人にも注がれると飲み過ぎて倒れそうになるので、「いやぁ、もういいです」と断ることもあるわけです。でも、その次の人が注ぎにきたら、そんなに抵抗なく注いでもらったりしたら、先に注ごうとして断られた人はあまりいい気はしないかもしれない。

 それもおよそ、よく考えてみれば以下のようなわけがあったりします。
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 お酒の勧め方にもよるところもあります。単純に軽く「どうですか」という場合は、「いや、あまり飲めないのでいいです」とすんなり言えるけど、断っても「まあそういわずに、どうぞどうぞ」とやや強引な場合は断りにくい。

 上下関係も影響します。職務上の地位が同等か下の人から勧められた場合は、もう飲めないときは、あっさりと「もういいわ」と断ることができるけれど、目上の人だったりすると、もう飲めなくても「あ、すみません」とついついお酒を注いでもらうことになる。
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 意図的に、注いでもらってOKの人、注いでもらうのを断る人と、決めてふるまっている人はまずいないと思うので、ほぼ上の2つが注いでもらうかもらわないかを決める判断基準になっていると思われます。

 それにしても、話のとっかかりの為に「お酒を注ぐ」のならまだいいけど、何も話さずにただお酒を注いでだけ回る人は、それはしない方がいいように思う。選挙に出るとか事情のある人はいざしらず、通常の懇親会であれば、日頃あまり話をしない人を何人か見つけて、お酒注ぐのもそこそこに、お話をするというのが、新しい展開があったりするかもしれないし、ベターではないかと思う。

 確かに、ビールのコップが空なのに、だれも気づいてくれなくて、自分で注ぐというのは寂しいものがあるけど、それも慣れのところがある。自分は手酌で、人には、押し付けがましくなくお勧めする、そしてたくさんお話をする、というのが懇親会宴席マナーと心得ている。
 

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おじいちゃん
 とうとう「おじいちゃん」になったんやね、おめでとう。と、昨日は何人かの人に言われた。自分の呼称として「おじいちゃん」というのは初めてのことだし、自分の持っている「おじいちゃん」という言葉で表されるイメージと現在の自分のイメージとはかなり開きがある。こう思っている我々の世代の人は結構いるのではないでしょうか。

 最近は、長生きするようなって、「お父さん」と「お爺さん」の間がかなりあるにもかかわらず、それを表現する適当な言葉がまだできてない。もう少し開きが出てくるとその間のゼネレーションを表す言葉も飛び出してくるような気もします。
 ひ孫がいるお爺さんも多くなったし、それも含めてお爺さんだけしか言葉がないというのもさびしい。
 バツイチ も、悪くないイメージで定着してるし、比較的若いおじいちゃんの立場を グランパ と呼ぶとか、お爺さん前グランドファーザーのいい呼び方の言葉ないですかね。